おとーさんの13回忌だった。


随分とこれを更新してない。
いつもやろうと思うのだけど
インスタとかfacebookとかで済んじゃう。

たぶん
こうやって記録するのは好きな性分なんだと思う。

でもそれがよりインスタとかの方が楽だったり
気軽だったりするからそっちになってしまってるのだな

思ってみたりする昨今。

あっという間に13回忌がきた。

おぼーさんが声を詰まらせたり
帰り際話していたおぼーさんの奥さんが泣いてくれたりと
嬉しいのだか悲しいのだかよくわからない気分だった。

何より
ありがたいという気持ちは一番だったかしら。

亡くなった日を今でもついさっきのように思い出せる。
なんであのとき死んじゃったんだろう。

たぶんやっぱりおとーさんが一番びっくりしていたと思う。

まわりもびっくりだけど
おとーさんが一番びっくりだったし
まわりもとっても悲しいけど
おとーさんが一番悲しかったと思う。

おぼーさんが最後のお話の中で
天命いう言葉をおっしゃっていたけど
それでとっても納得できるような
でもそんな都合のいい言葉ずるいよって
おぼーさんじゃなくて
宗教とか思想とかそんなんに文句を言いたくなるような
そんななんとも言えない気分。

いまだに
おとーさんがあのとき病室で流した涙には意志があったと思ってる。
医学とか科学とか
信用できるようで信用できないし
だからといってスピリチュアルなことを信用しているわけでもないけど
とにかく私がみたもの感じたものが全て
だと思っているし
実際
世の中それでしか物事は判断できないと思う。

結局何がいいたいかっていうと
今もとてもさみしくて悲しくて
今でも会いたいと思っているということ。

夢に出てきたときはうれしい。

それが記憶の清掃作業だとか
脳の誤作動だとしても
何か他の力が作用して会いにきてくれていると思いたい。

時が癒してくれるとかいう
わけのわからん綺麗事というか他人事をぬかしたやつがきっと過去にいて
結構今もそれなりに世の中に浸透しているというか
まぁ全体的に「そういうもんだよね感」はあるが
そのわけわからん綺麗事は
全くの嘘だ。

身をもって知った。

時が癒してくれるなんてことは
全くの嘘だ。

いや、もしかしたら癒されるというか
忘れちゃうこともあるのかもしれない。

でもそれって時間で解決できるくらいの
簡単なことなのだ。

時間は何も癒してなんてくれない。

空いた穴を認識して
あぁ…

思い浮かんではまた次が思い浮かびという
無限ループ的にいろんなことを思うだけで
考えれば考えるほどさみしさは募る一方。

このいろんなことが仏様とかいうのに伝わればいいけども
そんなの伝わったかどうかなんてわからないじゃん。

やっぱりさ
せめて面と向かって
相手の表情みながら
ありがとうって言いたいよね。

しっかりと。

全部ありがとうって言って
どんな顔するのか知らないけど
その表情をしっかり目に焼き付けておきたいし
その時の風の匂いとか
光の感じとか
温度とか
全部覚えておきたいよね。

言葉でいって全部の気持ちがきちんと伝わるのかはわからないけども
どんなに思っても
どんなに考えても
言わなきゃわかんねーと思うんだわ
人間。

しっかり伝えることが大事だと思うんだわ。

言わなくてもわかるとか
阿吽の呼吸とか
もしかしたらあるかもしれないけど
私にはわからない。

だから
せめてもう一回
しっかりと
いっぱいいっぱいありがとうって言える機会を作ってほしい。

伝えたい気持ちは
自分でもその量がわからないほどたくさんあるのに
伝えられないってつらいことです。

墓に向かっていったところで
仏壇に向かっていったところで
そこに何があるって
石とか位牌だとか思うわけ。

そこに仏様がいますって言われても
念ずることで気持ちが届きますって言われても
頭の悪い私からすると
意味不明なわけですよ。
いみふ。

いや、おぼーさんが悪いとかじゃない。
宗教が悪いとかじゃない。
ありがたい言葉を言っていただけて
おぼーさんに関していったら
そもそも父のことを覚えててくれて
言葉を詰まらせるくらい思ってくださっていて
感謝しかない。


でも
私自身の気持ちの問題で
やっぱりいなくなった本人にしっかり
ありがとうとごめんなさいを
言いたいですよ。

面と向かってね。

ごめんなさい7.5割ありがとう2.5割かな。

いや
ありがとう12割ごめんなさい8割くらいかな。

よくわからんけど。




あのとき
私が朝食べたいからって
おいしいからもっと食べたいって
おとーさんが疲れてるのに夜中にわざわざ煮てくれたくわぶとつみれ食べておけばよかったよ。
そもそも寝坊なんてしなければよかったよ。


あのとき
おかーさんにメールもらった時に
おかーさんのいう通りに
おとーさんにちゃんとメリークリスマスって
メールすればよかったよ。
いつも会えるから、
また年明け帰るから、
そのときおせちをたくさん食べてやるんだから、
って思いながら
恥ずかしいの半分めんどくさいの半分で
メールしなかったこと
後悔しかない。


あのとき。


あのとき…。





今いる人には
感謝の気持ちをきちんと伝えたいものですね。


どうしても、
またすぐ会えるし
次会うのも約束してるし
そもそもいるのが当たり前だし
てゆーかいつも一緒にいるし
いや、わかるっしょ?
ってなるかもしれない。

仲が良ければより一層そうだと思う。

でも
当たり前が
本当は有り難いことであるってこと
しっかり認識して
いつも人に感謝のきもちを伝えたいな

改めて思いました。


穴は依然あいたままです。


きっと母はもっとそうなのでしょう。


考えたら胸が苦しくなります。
きっと寂しいどころの騒ぎではないと思う。
私たち子供でもわからない二人の絆があったのでしょうから。


うちの子に生まれてこれてよかった。