昨日は仲良しとサッカーをみて
ボカを応援しながら
わー
だの
だぁー
だのいって騒いで楽しかった。

今日は今日で
同期のこと大事なお買い物をして
同期だけのクリスマスパーティの計画をして
楽しかった。


楽しいのはいいことです。


気がつけばもう12月で
もうすぐ1年になることを
こないだ痛感した。

日曜日は一周忌。
はや1年。
でも去年なんて
もうずーっと前のとおい記憶。


去年のブログをみた。
こずえは恋をしていたようです。
そんなのだいぶ昔みたい。
記憶と感覚が消えかけてる。
去年の今は学生だったはず。
去年の今頃はアホみたいにバイトをして
親に注意されても
働いて遊んで学校にもいかせてもらって
忙しいながらも平和でした。

あのころはまだおとーさんがいた。
バイト帰りに迎えに来てもらって
おうちを通り過ぎて
「どこいくんだよ!!!」
と私がわざというと、
いつものとおり
「あ、過ぎちゃったー」
ってお買い物に行ってたんだっけか。

なつかし。

ほんとに信じられないや。

なんでなんだろう。


病室のおとーさんを思い出す。
痛い。胸が痛い。

私が長野から帰ったときは
もう意識はなかった。
長野から帰る途中
おとーさんのケータイにずっとメールを送った。
見ることはできなくても
そうすればおとーさんの心に届くと信じてた。

病室についたときには
おとーさんは病人だった。
みたことのない姿。

手をにぎって
そのにぎり返す強さから
可能性を感じてた。

いくら病院の先生が言ったって
私は
少ない可能性を大きいものだと信じてた。

うちのおとーさんに限ってそんなことはない。

たずねて来る会社の人たち。
心配そうだった。
でも私は
「父は大丈夫です」
といった。

そう言うことでそれが魔法みたいに本当になる気がしたし
そうやっておとーさんにプレッシャーをかけることで
その期待に応えてくれると思ってた。
おとーさんはそういう人だ。

だんだん悪くなる状況で
先生は
もうここまでくると脳の神経がまひして
本人は痛みとかは感じてないって
いった。

でもそんなこと絶対ないと私は思った。
おとーさんはほんとにつらそうだった。
高くなる熱や痛みにたえて
意識のまったくないおとーさんはずっと涙を流していた。
それが生理的なものだと
体の反射なんだと
いわれても私はそんなの見てられなかった。
何がつらいのかわかんない。
かわれるものならと本当に思った。
私ならおとーさんより若いから
そんなの一瞬で治してみせるよって。
それで治ったらまた楽しく毎日すごせばいいじゃんね。


本人になってみなくちゃ
痛いとか
意識がほんとにないとか
わかるわけもない。
医学的にみてどうとか
あってるんだろうけど
それが100%ではないと私は思う。
脳がまひしてるからって
こころはどこが働いてるのかなんて
ほんとにわかった人はいないはず。

ないていたのは痛かったから?
それとも自分のその姿が悲しかったから?
死をさとったの?
何か言いたかったに違いない。
ほんとにほんとにつらそうだった。


それを思い出すたびに私は。




日曜の法事で
うちの父がすごい人だったと
みんな言ってくれた。
私もほんとにそう思う。
いなくなってから
違う父の像が見えてきたりした。
ただのえらい人とは違うって
みんな言っていた。
誇るべきおとーさん。



だんだん何かが薄れていくようで
悲しい。
でもその一方でふと思い出すことや
思い出そうとして出てくる鮮明な記憶。

私の中で
父の像は変わらないけど変わっている。
生きてないけど生きてる。

今の私を見て
父は何を思うんだろう。
ああ。今いてくれたら。あのことが長い夢だったら。

もっともっと話をしたかった。
もっともっといっしょにいたかった。
もっともっといろんなことをしてあげたかった。


あんなに楽しかった昨日
帰る途中にイヤホンから流れる楽しいクリスマスソング。
すべてが楽しいはずなのに
歩きながら涙が止まらなかった。
夜で
誰もいなくて
よかった。

こういう涙は何も流してくれない。
ただただ悲しいだけ。
このひとつの悲しさの絶対量はきっと一生かわらない。

そして
こうやって私にたえず押し寄せてくる波は
引いた後に反対側にむかった波になって
違う陸に押し寄せるのでしょう。
波がなくなることはないのです。